【040】濮陽の戦い①|曹操の敗北と典韋の活躍 |
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【040】濮陽の戦い①|曹操の敗北と典韋の活躍
公開日 : 2020年9月1日 / 更新日 : 2023年2月27日 三国志演義教室 ツイート シェア0 Google+0 B!はてブ0 Pocket0 feedly陶謙(とうけん)の配下に父・曹嵩(そうすう)を殺害されたことで、これを陶謙(とうけん)の責任として徐州(じょしゅう)に攻め込んだ曹操(そうそう)。 ですが、本拠地の兗州(えんしゅう)で呂布(りょふ)・陳宮(ちんきゅう)らが反乱を起こしたことで、曹操(そうそう)は急遽(きゅうきょ)兗州(えんしゅう)に引き返しました。 スポンサーリンク 目次 1 曹操の帰還1.1 兗州の状況1.2 呂布が濮陽に入る2 緒戦の大敗と夜襲計画2.1 緒戦の大敗2.2 夜襲計画3 夜襲の失敗と典韋の活躍3.1 夜襲の失敗3.2 典韋の活躍 曹操の帰還画像出典:ChinaStyle.jp タカオ前回は、徐州(じょしゅう)の陶謙(とうけん)を攻めていた曹操(そうそう)が撤退したところまででしたよね。 マリコ呂布(りょふ)さんや陳宮(ちんきゅう)さんたちが兗州(えんしゅう)で反乱を起こしたからですね。 タカオあと、劉備(りゅうび)が陶謙(とうけん)の元に留(とど)まって、小沛(しょうはい)に駐屯することになったね。 マリコでも趙雲(ちょううん)さんは公孫瓚(こうそんさん)さんの所に帰っちゃった…。 王先生そうですね。今回は、兗州(えんしゅう)に引き返した曹操(そうそう)と呂布(りょふ)の戦いのお話になります。 ご確認この記事は『三国志演義(さんごくしえんぎ)』に基づいてお話ししています。正史(せいし)『三国志(さんごくし)』における「濮陽(ぼくよう)の戦い」については、こちらをご覧ください。 関連記事 【濮陽の戦い】呂布 vs 曹操。典韋の武勇と曹操の危機 兗州の状況 王先生では、今回のお話を始めましょう。 曹操(そうそう)が引き揚(あ)げて来ると、兗州(えんしゅう)に残されていた曹仁(そうじん)が出迎えて、 陳宮(ちんきゅう)が補佐する呂布(りょふ)軍の勢いが激しく、兗州(えんしゅう)の大半を失ってしまったこと。 荀彧(じゅんいく)と程昱(ていいく)が手を尽くし、鄄城県(けんじょうけん)・范県(はんけん)・東阿県(とうあけん)の3県を死守したこと。を曹操(そうそう)に報告します。 鄄城県(けんじょうけん)・范県(はんけん)・東阿県(とうあけん) 曹仁(そうじん)の報告を受けた曹操(そうそう)ですが、 「呂布(りょふ)は武勇ばかりで知謀のない奴だ。恐るるに足らぬ」 と高をくくっていると、これを聞いた郭嘉(かくか)は、 「我が君、敵を侮(あなど)りなさってはなりませぬ」 と諫(いさ)め、一先(ひとま)ず陣を取って兵を休ませることにしました。 マリコかなりピンチだと思うけど、曹操(そうそう)さん強気ですね。 タカオ曹操(そうそう)がこういう感じの時は、負けるんだよねぇ〜。 王先生確かに。敵を侮(あなど)るのは曹操(そうそう)の悪いクセですね(笑) 呂布が濮陽に入る 王先生さて、曹操(そうそう)が戻って来たことは呂布(りょふ)にも伝わります。 呂布(りょふ)は、副将の薛蘭(せつらん)と李封(りほう)を呼んで、 「俺は曹操(そうそう)を討(う)ちに行く。お前たちは、1万の兵を率(ひき)いて兗州(えんしゅう)を守っておれ」 と命じます。 するとそこへ、陳宮(ちんきゅう)が急いでやってきて言いました。 「将軍(しょうぐん)(呂布(りょふ))、兗州(えんしゅう)を放っておいて、どこへお出(い)でになるのですか!?」 呂布(りょふ)が、 「濮陽(ぼくよう)(兗州(えんしゅう)・東郡(とうぐん)・濮陽県(ぼくようけん))に駐屯して、互いに助ける形にするのだ」 と答えると陳宮(ちんきゅう)は、 「いけません、薛蘭(せつらん)では兗州(えんしゅう)を守り通すことはできませぬ。 ここから南に180里(約75km)にある泰山(たいざん)の麓(ふもと)は、険阻(けんそ)な要害です。ここに精兵1万を伏せておくのがよろしい。 曹操(そうそう)は兗州(えんしゅう)を失って、急いで戻って来るに違いありません。一旦やり過ごしておいて背後から攻撃すれば、必ずや奴を生け捕りにすることができるでしょう」 と、一計を案じます。 ですが呂布(りょふ)は、 「俺が濮陽(ぼくよう)に駐屯するのは、別に良い考えがあってのことだ。お前などに分かるものか」 と言って、予定通り薛蘭(せつらん)を大将として兗州(えんしゅう)を守らせ、濮陽(ぼくよう)に駐屯しました。 タカオ呂布(りょふ)も曹操(そうそう)以上に自信家だからな(笑) マリコ曹操(そうそう)さんは徐州(じょしゅう)で酷(ひど)いことしたから呂布(りょふ)さんを応援したいけど、ちょっと心配…。 タカオどっちもどっちだね(笑) 王先生陶謙(とうけん)や劉備(りゅうび)にとっては、曹操(そうそう)が負けた方が都合が良さそうですね。 曹操(そうそう)軍が泰山(たいざん)の山間(やまあい)の小路に差しかかると、郭嘉(かくか)が曹操(そうそう)に言いました。 「この辺りには伏兵があるかもしれません。うかつには進めません」 ですが曹操(そうそう)は、 「呂布(りょふ)は知謀のない奴。だからこそ、薛蘭(せつらん)なんぞに兗州(えんしゅう)を守らせて、自分は濮陽(ぼくよう)に出たりするのだ。伏兵の心配はない」 と言って、曹仁(そうじん)に一軍を率(ひき)いて兗州(えんしゅう)を包囲させ、自分は呂布(りょふ)を攻撃するため濮陽(ぼくよう)に兵を進めました。 一方、曹操(そうそう)が濮陽(ぼくよう)に向かっているという報告を受けた陳宮(ちんきゅう)は、 「曹操(そうそう)の兵は遠路の行軍で疲れ果てています。敵を休ませては不利になりますから、早急に攻撃を仕掛けるのがよろしいでしょう」 と進言しますが、 「曹操(そうそう)など恐れはせんっ!勝手に陣を取らせておけ。生け捕りにしてくれるわ」 と言って呂布(りょふ)は取り合いませんでした。 タカオお互いに敵をナメてるなぁ(笑) マリコ呂布(りょふ)さんが陳宮(ちんきゅう)さんの言うことを聞いていたら、曹操(そうそう)さんはやられてましたね。 王先生そうですね。そうこうしている間に曹操(そうそう)は、濮陽(ぼくよう)の近くに陣を構え終わります。 スポンサーリンク 緒戦の大敗と夜襲計画画像出典:ChinaStyle.jp 緒戦の大敗 王先生次の日、曹操(そうそう)は将兵を率(ひき)いて呂布(りょふ)の到着を待ちました。 そして両軍が陣形を整える終わると、呂布(りょふ)が真っ先に馬を乗り出します。 その両脇には、 幷州(へいしゅう)(并州(へいしゅう))・雁門郡(がんもんぐん)・馬邑県(ばゆうけん)の人・張遼(ちょうりょう)、字(あざな)は文遠(ぶんえん) 兗州(えんしゅう)・泰山郡(たいざんぐん)・華陰県(かいんけん)の人・臧覇(ぞうは)、字(あざな)は宣高(せんこう)の2人の大将が槍を小脇に馬を躍(おど)らせ、 それぞれ 郝萌(かくほう) 曹性(そうせい) 成廉(せいれん) 魏続(ぎぞく) 宋憲(そうけん) 侯成(こうせい)を従えていました。 呂布(りょふ)の軍勢は5万、太鼓を打ち鳴らしてその威勢を示しました。 曹操(そうそう)は呂布(りょふ)をはるかに指さして、 「儂(わし)はお前に何の仇(あだ)を成(な)したこともないのに、何故(なにゆえ)我が州を奪ったのだ!?」 と叫びます。 「漢(かん)の城々は誰の手に渡ろうと文句はないはず。お前1人のものだと言うのか。 誰かある、曹操(そうそう)を生け捕りにせいっ!」 呂布(りょふ)の言葉が終わらぬうちに呂布(りょふ)軍から臧覇(ぞうは)が前に出ると、曹操(そうそう)軍からは楽進(がくしん)がこれを迎え撃ち、30合(ごう)あまり打ち合いましたが、一向に決着が着きそうにありません。 この様子を見た夏侯惇(かこうとん)が、馬を蹴立(けた)てて楽進(がくしん)の助太刀に入ろうとしたところ、呂布(りょふ)の陣からも張遼(ちょうりょう)が打って出てこれを遮(さえぎ)り、夏侯惇(かこうとん)と斬り結びます。 この2組の戦いの勝負がつかないことに業(ごう)を煮やした呂布(りょふ)が陣から出て来ると、夏侯惇(かこうとん)と楽進(がくしん)は一斉に退(しりぞ)きはじめ、勢いに乗じて襲いかかる呂布(りょふ)軍に曹操(そうそう)軍は大敗しました。 タカオやっぱり強えぇな、呂布(りょふ)。 マリコ劉備(りゅうび)さん、関羽(かんう)さん、張飛(ちょうひ)さんの3人がかりでも勝てなかったくらいだからね。 王先生そうですね。曹操(そうそう)軍が3、4里ほど後退したところで、呂布(りょふ)軍も兵を退きました。 夜襲計画 曹操の夜襲 王先生さて、緒戦(しょせん)で呂布(りょふ)に敗れた曹操(そうそう)は、陣に戻って軍議を開きます。 そして、 「今日、山の上から眺めておりましたら、濮陽(ぼくよう)の西に1つ、呂布(りょふ)の陣がありましたが、兵が多いようには見えませんでした。 今日の勝利で、きっと敵は油断しておりましょう。今夜、夜襲をかけて陣を奪い取り、挟み撃ちにするのが上々の計(はかりごと)だと思います」 この于禁(うきん)の進言に同意した曹操(そうそう)は、 曹洪(そうこう) 李典(りてん) 毛玠(もうかい) 呂虔(りょけん) 于禁(うきん) 典韋(てんい)の6人と騎兵・歩兵を選りすぐり、その夜のうちに間道から出発しました。 マリコ正攻法で負けたから、今度は奇襲作戦ってことですね。 タカオ多分陳宮(ちんきゅう)は気づいてるだろうね。あとは呂布(りょふ)が言うことを聞くかどうかだ…。 王先生そうですね。では呂布(りょふ)の陣の様子を見てみましょう。 陳宮の助言 王先生さて、その頃呂布(りょふ)の陣では、勝ち戦(いくさ)の慰労(いろう)をしていました。 その席で陳宮(ちんきゅう)は、呂布(りょふ)に「曹操(そうそう)が重要な西の陣に夜討ちをかけること」に警戒するべきだと進言します。 これに呂布(りょふ)は、 「あいつ(曹操(そうそう))は負け戦(いくさ)の後で、そんな勇気があるはずがなかろう」 と気にも留(と)めていませんでしたが、なおも陳宮(ちんきゅう)が、 「曹操(そうそう)は用兵に長(た)けた男です。不意打ちに遭(あ)わぬよう、用心するに越したことはありません」 と言うので、 高順(こうじゅん) 魏続(ぎぞく) 侯成(こうせい)の3人を「西の陣」の守備に派遣しました。 タカオやっぱり陳宮(ちんきゅう)は気づいてたな。 マリコしかも呂布(りょふ)さんがちゃんと言うことを聞いたってことは、曹操(そうそう)さんピンチ!? タカオ夜襲も郭嘉(かくか)じゃなくて于禁(うきん)の進言ってところがな…。こりゃまた曹操(そうそう)の負けかな?(笑) 王先生どうでしょうねぇ…。 スポンサーリンク 夜襲の失敗と典韋の活躍画像出典:ChinaStyle.jp 夜襲の失敗 王先生さて、曹操(そうそう)軍は予定通り夜襲を決行します。 曹操(そうそう)は黄昏時(たそがれどき)を待って「西の陣」に軍を進めました。 すると于禁(うきん)の言った通り陣の守兵は少なかったため、曹操(そうそう)軍が四方から突入すると、散り散りになって逃げ失せたので、曹操(そうそう)はあっさりと陣を奪い取ります。 タカオあれっ? 高順(こうじゅん)たちは…!? マリコ曹操(そうそう)さんの軍の方が早かったということですかね? 四更(しこう)(午前1時または2時から2時間)を過ぎた頃、ようやく高順(こうじゅん)の軍が到着し、陣に斬り込んで来ます。 曹操(そうそう)は自(みずか)ら人馬を率(ひき)いて迎え撃ちますが、夜が明けようとする頃、今度は真西から太鼓の音が激しく鳴り響き、曹操(そうそう)の元に「呂布(りょふ)の援軍がやって来た」との報告が届きました。 この報告を受けた曹操(そうそう)は奪った陣を放棄して退却しますが、後ろからは高順(こうじゅん)・魏続(ぎぞく)・侯成(こうせい)が、正面からは呂布(りょふ)が馬を飛ばしてやって来ます。 これに于禁(うきん)と楽進(がくしん)が2人がかりで呂布(りょふ)に挑(いど)むも抗(こう)しきれず、曹操(そうそう)が北に逃走すると、山の向こうから左に張遼(ちょうりょう)、右に臧覇(ぞうは)の2隊が現れました。 曹操(そうそう)は呂虔(りょけん)と曹洪(そうこう)に戦わせますが勝ち目がなく、今度は西に向かって逃げて行くと、たちまち どっと鬨(とき)の声が上がり、またもや敵兵が現れて、郝萌(かくほう)・曹性(そうせい)・成廉(せいれん)・宋憲(そうけん)の4人の大将が行く手を塞(ふさ)ぎます。 曹操(そうそう)はまたも方向を変え、曹操(そうそう)の大将たちは軍の後方で死に物狂いで戦いましたが、拍子木(ひょうしぎ)の音が1つ鳴り響くと、先頭を真っ先に突き進む曹操(そうそう)に向けて雨のような矢が射かけられました。 タカオおいおい、ボロ負けやんっ! マリコやっぱり呂布(りょふ)さんには敵(かな)いませんねっ! タカオてか、これ大丈夫か?曹操(そうそう)…。 王先生矢を射かけられた曹操(そうそう)は、助けを求めて必死に叫びました。 典韋の活躍 王先生すると、騎兵の中から1人の大将が躍(おど)り出ます。 「我が君、気遣(きづか)いなされますなっ!」 そう言って馬から飛び降りた大将の名前は典韋(てんい)。 典韋(てんい)は重さ80斤の2本の矛(ほこ)を地に突き立てて、短い矛(ほこ)十数本を脇に挟(はさ)むと、 「敵が10歩前まで来たら呼べ」 と従者に命じて、大股に矢の降り注(そそ)ぐ中を進み始めます。 そしてついに呂布(りょふ)軍の射手・数十騎が迫(せま)って来た時、従者が大きな声で「10歩でございますぞっ!」と叫ぶと、典韋(てんい)はまた、 「5歩になったら呼べ」 と言い、従者の「5歩の合図」を聞いた典韋(てんい)が手にした短い矛(ほこ)を敵に投げつけると、矛(ほこ)の1本ごとに1騎が落馬し、1本の無駄もなく たちまちのうちに10数人を突き殺しました。 この典韋(てんい)の武勇に恐れを成(な)した敵兵が浮き足立つと、典韋(てんい)は再び馬に飛び乗って、2本の大鉄戟(おおてつげき)を振り回しつつ敵軍に斬り込みます。 すると、郝萌(かくほう)・曹性(そうせい)・宋憲(そうけん)・侯成(こうせい)の4人も、敵(かな)わないとみて退却を始めました。 そして典韋(てんい)が曹操(そうそう)を助け出すと、それぞれ戦っていた曹操(そうそう)の大将たちも後から追いつき、本陣に帰る路(みち)を探し始めました。 マリコ曹操(そうそう)さんの所にも、まだ強い人がいたんですねっ! タカオ典韋(てんい)のお陰で命拾いした訳か。 王先生いえ、まだです。 日も暮れかかった頃、「曹操(そうそう)め、逃げるなっ!」と呂布(りょふ)が追って来ました。 マリコえぇ〜っ! タカオしつこいな呂布(りょふ)(笑) 王先生そして、「曹操(そうそう)の運命は?」というところで、『三国志演義(さんごくしえんぎ)』の第11回が終わります。 父の仇(かたき)と徐州(じょしゅう)の陶謙(とうけん)を攻めていた曹操(そうそう)ですが、本拠地の兗州(えんしゅう)で呂布(りょふ)・陳宮(ちんきゅう)らが反乱を起こしたことを受け、急遽(きゅうきょ)兗州(えんしゅう)に引き返してきました。 緒戦(しょせん)で呂布(りょふ)に敗れた曹操(そうそう)は、呂布(りょふ)が籠(こ)もる濮陽(ぼくよう)から、濮陽(ぼくよう)の西にある呂布(りょふ)の陣に目標を変え夜襲をかけますが、これを読んでいた陳宮(ちんきゅう)の助言により呂布(りょふ)が駆けつけます。 陣を棄(す)てて敗走する曹操(そうそう)は、典韋(てんい)の活躍により危機を脱したかに見えましたが、日も暮れかかった頃、なおも呂布(りょふ)の追撃を受けることになりました。 王先生次回は、体勢を立て直した曹操(そうそう)が濮陽(ぼくよう)に攻撃を仕掛けます。 次回【041】濮陽の戦い②|曹操の危機と蝗害による停戦 三国志演義の解説を順番に読もう!三国志演義教室【目次】 スポンサーリンク ツイート シェア0 Google+0 B!はてブ0 Pocket0 feedlyタグ : 楽進, 曹操, 呂布, 陳宮, 趙雲, 于禁, 典韋, 夏侯惇, 郝萌, 郭嘉 あなたにオススメの記事 関連記事【三国志群雄配下一覧】張魯 【059】呂布が戟を射て戦を仲裁し、劉備を助ける 【関羽の千里行(五関斬六将)】先を急ぐ関羽が遠回りをしていた理由とは 【058】孫策が厳白虎と王朗を破り、江東を平定する 【057】太史慈の帰順と孫策の快進撃 【056】小覇王・孫策の誕生。孫策と太史慈の一騎打ち 「【041】濮陽の戦い②|曹操の危機と蝗害による停戦」 「【039】兗州の反乱に曹操は兵を退き、劉備が小沛に駐屯する」 コメントを残す コメントをキャンセルこのサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。 |
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