二日目:法の歴史を知ろう |
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1 まずは「法」のイメージを これから学習していく「法」は,今,皆さんがイメージしている「法」とはちょっと違うんじゃなかろうかと推察いたします。 例えば六本佳平先生の『市民が向き合う法の世界』という書籍では,冒頭で「法に関する誤った理解の仕方12ヵ条」が記載されています。法に関する一般の方の誤解が12個も紹介されているのです。一般の方は,法について誤ったイメージを数多く持っておられるようです。 皆さんも,これから学習を始めようという段階ですので,一般の方と同様にたくさんの誤解をしている可能性が高いです。たくさん誤解をしたまま学習を始めてしまっては,「何か違うぞおかしいぞ」となり,きっと混乱が生じます。 ですので,最初に「法とはどのようなものか」についてお話しして,皆さんのもっている「法」についてのイメージを改めていただこうと思うのです。 2 法の定義は難問 そうすると,「法とはどういうものなのか」という話に進みそうなんですが,この話はやめておきます。 というのも,「法とは何か」は大変な難問なんです。古代ギリシャ時代から現代まで,ずっと議論が続いているぐらいのとてつもない難問です。 例えば哲学者カントの有名な哲学書『純粋理性批判』には,「定義に到達するということはすばらしいことではあるが,しかし往々にしてきわめて困難なことである。法学者たちは,いまなお,『法』の定義を探索している」(B759の注)という一文があります。あのカントに,きわめて困難な問題の具体例として「法とは何か」が紹介されてしまっているのです。 また,穂積重遠先生の『法学通論』には「法律とは何ぞといふのが法律学の第一課であり,又最終課である」とあります。アルファでありオメガというわけです。法学を学ぶのであれば,最終課題として取り組まねばならない難問のようです。 初めて法を学ぶというのに,このような難問にいきなり取り組むのはやめておいたほうがよいと,私は思うのです。というか,私の手にも負えません。 3 第一課ならむしろ取り組むべき? もしかしたら,穂積先生は「法律学の第一課」でもあるとおっしゃっている以上,難しくともやはり第一課として最初に取りあげるべきという意見をお持ちかもしれません。 たしかに,大学の授業では「法の定義」「法の概念」という問題は「法学」あるいは「法学入門」といった講義で扱います。そして,「法学」「法学入門」は大学1年でとる科目です。つまり,大学では,まさに法律学の第一課とされているわけです。 こういうところからすると,最初に法の定義を学んでおかないといけないのではないか,という気にもなってきます。 4 法学入門はもっともつまらない授業 ところが,長尾龍一先生は『法哲学入門』において,「その授業の退屈さという点では,法学入門の講義がその最たるものの一つであることは間違いない」と断言されています。法学入門は退屈なんです。実は私も,以前からそうじゃないかなあと思っていました。なぜ退屈かというと,まさに「法の定義」「法の概念」を取り扱うからだそうです。 「法の概念」についての議論は,とても抽象的でイメージしにくいんですね。法学をまったく勉強したことがない人にとっては,退屈きわまりないでしょう。私もそうでした。退屈というかちんぷんかんぷんでした。 勉強は楽しくやらないといけないという私のポリシーからすれば,退屈というのはダメダメです。私が敬愛する社会学者のパオロ・マッツァリーノ氏も「つまらない学問は,罪である」と断じておられます。勉強するからには,おもしろおかしくやりましょう。 5 「法とは何か」は最後の到達点 民事訴訟法の大家で法務大臣もなさった三ヶ月章先生も『法学入門』の冒頭で,法とは何かという問題は,「法学を勉強した最後の到達点」であり,「学習の最初の段階でその答が出せるほど簡単な問題ではないのである」と書いておられます。 ほらほら,三ヶ月先生もおっしゃっておられるではありませんか。 6 法学概論は基礎的な科目ではない さらには仲正昌樹先生も『<学問>の取扱説明書』という書籍で,「『法学概論』というと,法学の最も基礎的な部分を教える重要な科目のように聞こえるかもしれませんが,全然そうではありません。そもそもどういうことをやるべきか中身があまりはっきりしていません」と述べておられます。 中身があまりはっきりしていないということは,大したことは「法学概論」では教えていないということであり,法学概論を飛ばして先へ進んで大丈夫ということだと言ってしまってよいでしょう。 ちなみにこの『<学問>の取扱説明書』はけっこう面白いです。法学関係者でない学者が外部から法学を見てみたという本ですので,ある程度勉強してから「そうだよなあ」という感じで読むといいんじゃないかと思います。法学の入門書には,たぶんならないですけど。 7 歴史からアプローチ そういうわけで,「法とは何か」を検討するのはやはり避けることにしましょう。 とはいえ,ご安心ください。 「法とは何か」という概念からのアプローチはパスしますけれども,「法の歴史」という歴史からのアプローチをします。 抽象論をやるよりも,歴史という具体的なところからのアプローチのほうがわかりやすいのではないかと思います。 8 古今の法 さて,「法の歴史」と言うと,皆さんは世界史で「ハンムラビ法典」や「十二表法」を学んだことを思い出すかもしれません。また,日本史では「十七条憲法」「大宝律令」「御成敗式目」「武家諸法度」「公事方御定書」あたりを思い出すのではないでしょうか。 法の歴史を本格的に勉強するのであれば,そのあたりからしっかり勉強しないといけません。 しかし,十七条憲法からやっていると大変です。現代の法律までたどり着かないかもしれません。そこで,そのあたりはばっさり省略します。本格的に法の歴史を勉強したい方は「日本法制史」「西洋法制史」などの本を各自で読むか,大学の授業を受けるかしてください。法の歴史も面白いですよ。 9 現在の法律のルーツを探る 私たちがこれから学ぶのはあくまで「現在」の「日本」の「法律」ですから,「現在」からさかのぼって,日本の法律のルーツを探ってみましょう。 最近はNHKで『さかのぼり日本史』という面白い番組もありました。本も出ていますね,大変勉強になりました。 この『さかのぼり日本史』のように,現在から過去へ歴史をさかのぼって考えることも有効です。 10 日本国憲法の制定はいつ? ここで突然ですが問題です。 日本国憲法がいつ制定されたかはご存知ですか? ・・・そうですね,戦後の1946年(昭和21年)です。一般常識ですね。 正確には,1946年11月3日に公布され,その6か月後の1947年5月3日に施行されました。現在ではいずれも祝日になっています。 11 明治憲法の制定はいつ? では,明治憲法は? はい。「いちはやく」の1889年(明治22年)ですね。これも日本史で勉強したので覚えてますよね。1889年の2月11日に公布され,1890年11月29日に施行されました。2月11日だけ祝日になっています。 もし,そもそも日本史を勉強してないという方がいらっしゃったら,ぜひこれから勉強しましょう。かの小谷野敦も『バカのための読書術』において,とりあえず歴史を学べと言っていますし。歴史は大切です。 12 日本における憲法の始まり 日本における「憲法」の始まりは明治憲法です。明治時代の前は江戸時代ですが,江戸時代に憲法などありませんでした。 ・・・たしかに聖徳太子の時代までさかのぼれば「十七条憲法」がありますけど,これは「憲法」という名前がついているだけで,これから私たちが勉強しようとしている「憲法」とはまったく別系統のものなのです。詳しくは「憲法」で学びます。 とりあえず,日本の憲法の歴史は明治時代から始まるということだけ頭に入れて,先に進みましょう。 13 六法を開いてみよう せっかく皆さん六法を準備したのですから,早速活用しましょう。六法の「民法」のところを開いてもらえますか。 六法のひき方は,とくに解説しなくても大丈夫ですよね? なお,これからは条文が登場するたびに,六法をひく癖をつけましょう。頻出条文について六法を開かずに「第何条」と言えるようになれば脱初心者です。条文丸暗記まではしなくていいですけど。 14 民法の制定日 「民法」の冒頭に注目しましょう。ここには「明治29年4月27日法律第89号」「施行:明治31年7月16日」と書いてあって,その後に「改正」がたくさん載っていますよね。 この記載は,「民法は明治に制定された」「幾度も改正されたが根幹部分はまだ生き残っている」ということを意味しています。全面的に改められたのであれば,その日が制定日として記載されているはずですから。 このように,明治に作られた法律が,現在もまだ生きているのです。しかも,民法という重要な法律が,です。 びっくりしませんか。初めて勉強したとき,私はとてもびっくりしました。 15 刑法の制定日 「刑法」についても見てみましょう。 刑法の場合は「明治40年4月24日法律第45号」「施行:明治41年10月1日」と書いてあって,「改正」もたくさん載っていますよね。 刑法も民法と同じく,明治時代に制定されており,その刑法が現在でも生きているのです。 16 その他の主な法律の制定日 その他,「商法」「民事訴訟法」「刑事訴訟法」は,いずれも平成になって全面改正されています。しかし,最初に制定されたのはいずれも明治時代なのです。六法を参照してみてください。詳しくは「日本法制史」で勉強しましょう。 17 つまり基本的な法は明治に始まる 話をまとめると,憲法をはじめ,民法,刑法,商法,民事訴訟法,刑事訴訟法といういわゆる「六法」は,すべて明治時代にはじめて制定されているのです。基本的で重要な法律は,すべて明治時代に始まっているわけです。 余談:江戸時代以前の法 江戸時代以前には,憲法も民法も刑法もありませんでした。もっとも,法に類するものがまったくなかったわけではありません。例えば「律令」の「律」は刑法にあたります。 しかし,ここでは江戸時代以前には法はなかった,すべては明治時代から始まるということにして,先に進みます。厳密なことは法制史で勉強してください。 18 なぜ明治時代から法が始まったのか? これから私たちが学ぼうとしている法律は,明治時代からその歴史が始まっていることが判明しました。 では,次の問題に移りましょう。なぜ,明治時代から始まるのでしょうか?明治に何があったのでしょうか? 19 もちろん明治維新 もちろん明治維新です。 明治維新によって武士の社会が終わり,日本国のありかたが根本的に変わりました。いわゆる文明開化です。 法律が制定されるようになったのは明治維新が原因だろうということは,簡単に想像がつくことと思います。 20 明治にどんな必要が生じたのか? さらに考察を進めましょう。 いったいなぜ,明治政府は「法律」を制定したのでしょうか? なんの必要もなかったのであれば,わざわざ多大な労力を費やすまでして法律を制定することはなかったはずです。明治政府はいったいどんな必要に迫られたのでしょうか? 21 不平等条約の締結 江戸時代末期に,ペリーの黒船が日本にやって来ました。泰平の眠りを覚まさせられたのです。 そして,江戸幕府は,いわゆる不平等条約の締結を余儀なくされます。日米修好通商条約や安政の五カ国条約です。 22 何が不平等だったのか ところで,不平等条約の「不平等」というのは,何が「不平等」だったのか知ってますか? 日本史で学びましたよね,①外国に領事裁判権が認められたことと,②関税自主権がないこと,です。 ここでは①が重要です。 ①は,日本にいる外国人については,日本法ではなくその外国の法で,しかも外国の裁判官が裁判するという意味です。いわゆる治外法権の一種です。これがなぜ不平等になるのでしょうか? 23 領事裁判権が認められるとどうなるのか? このような制度が認められてしまうとどういう事態が生じるか,想像してみましょう。 ちゃんとした立派な外国人裁判官が裁判をするのであれば,日本人・外国人の区別なく公平な判決をしてくれそうですので,問題は起きなさそうです。 しかし,実際には,なかなかそうもいかないんじゃないでしょうか。外国人が裁判官をする以上,どうしても自分と同じ外国人に有利な判決になりがちじゃないかなと想像されます。 少なくとも「外国人が裁判官だったせいでこんな判決が出た!」と日本人が恨みに思う事態が起きるのは間違いなさそうです。今の日本でも「裁判官が女だったせいで,たかがチカン程度で刑務所に!」なんて言い出す人がいるくらいです。チカンは決して軽くない罪です。 25 徳島藩士殺害事件 伊藤之雄先生の『伊藤博文 近代日本を創った男』を読んでいたら,こんなエピソードが紹介されていました。 明治になってすぐの1868年(明治元年)に,アメリカ商船の水夫が泥酔したうえ,神戸港を警備していた徳島藩士を刺して殺害するという事件が起きました。 この事件について,当時の兵庫県知事であった伊藤博文は,外国人による日本人殺害は開港以来初めてのケースであり,先例となるのでこの水夫を死刑にしたいと希望しました。 しかし,伊藤博文の希望はまったく通りませんでした。不平等条約の下,水夫はわずか禁固1年の刑にとどまりアメリカに送還されるという結果になりました。 伊藤博文が希望した死刑はちょっと厳しいように思えるんですが,他方で禁固1年はえらく軽いように思えます。 26 ノルマントン号事件 1886年(明治19年)になってからは,ノルマントン号事件が起こります。やはり,外国に領事裁判権が認められていた時代の事件です。 暴風のせいでイギリスの貨物船ノルマントン号が沈没してしまったのですが,その際,イギリス人船長や水夫らは救命ボートで脱出して助かったにもかかわらず,日本人乗客二十数名は船内に取り残され全員死亡してしまいました。日本人からしてみたら,イギリス人船長らは乗客が日本人だったから放置して自分たちだけ逃げたんじゃないかという疑いが生じます。最近も似たような事件が起きました。当時の日本の世論は沸騰しました。 ところが,領事裁判権に基づいて審理したイギリス人領事は,イギリス人船長らを全員無罪としました。どういう理由かはちょっとわかりません。もしかしたら,無罪になるような理由が何かあったのかもしれません。しかし,身内をかばい,十分に事実解明しなかったのではないかという疑いは残りますよね。 領事裁判権の下では,こういう事態が生じてしまうのです。ここでは2つの事件を紹介しましたけれど,他にももっとたくさんあったのではないかと思われます。 27 欧米諸国の言い分 当然,江戸幕府も馬鹿ではないので,欧米諸国から条約締結を求められた際には猛反対しました。きっとこんな会話があったことでしょう。 「ちょっと待てや,領事裁判権とか不平等やないか」 「しかし,あなたがたの国には,我々の国のような,近代的な法制度も裁判制度もありません。そんな国では,我々の国民が法で守られることがなくてとても危険です。我々の法で守る必要があります」 「そんなこと言うたかて,わしら日本と西洋のあんたらとでは,文化が大違いなんやから仕方ないやろ。近代的な法制度とかはあんたらの文化やないか」 「早く条約を締結しないと,お隣の清国がアヘン戦争で侵略されたように,あなたがたも侵略されてしまうかも。いいんですか」 「ぐぬぬ」 という感じで,欧米諸国に押し切られてしまったのでしょう,きっと。 余談:江戸幕府も結構がんばった? 岩波新書の井上勝生著『日本近現代史<1>幕末・維新』を読んでいたら,江戸幕府もタフネゴシエイターとしてがんばったという記述がありました。そうすると,弱腰であっさり押しきられてしまった江戸幕府という認識は改めないといけないかもしれません。 28 不平等条約のホンネとタテマエ 江戸幕府が不平等条約を締結せざるを得なかったのは,黒船に大砲で脅されて抵抗できなかったからです。上に出てきた会話でも,江戸幕府はアヘン戦争の話で脅されています。 しかし,それだけではありません。 上の会話にも出てきたように,「我々は近代的な法制度によって国民を守っている文明国なのだ,近代的な法制度がないと王様や殿様が好き勝手して国民がどんな目にあうかわかったものではなく危険きわまりない,そのような法制度がない危険な国は未開国なのだ,未開国は文明国と平等な条約を結ぶのは無理なのだ」という理屈で押し切られたという面もあります。西洋はばっちり理論武装もしていたのです。 不平等条約の締結は,大砲(ホンネ)と理屈(タテマエ)の両面攻撃を受けた結果だと言えます。 余談:タテマエとホンネ このように,「ホンネ」と「タテマエ」の両方から考えるのはとても有効です。世の中はホンネばかりではないし,タテマエばかりでもない,両方から考えると見えてくるものがあります。 法学の分野でも同様です。ローマ法学者の柴田光蔵先生も『法のタテマエとホンネ』『タテマエの法ホンネの法』という本を書いておられます。 29 不平等条約改正問題 日本史で学んだように,明治維新以後,明治政府は不平等条約改正問題に取り組むことになります。「こんな不平等条約いつまでもそのままにしてられるへんやろ。放っておいたらいつまでも日本は未開国扱いやないか」ということです。 先ほど脇に置いた②関税自主権がないことでも,日本は巨額の損失を出したと言われています。 そもそも明治政府は律儀でして,「明治維新があって政府が変わったんだから,江戸幕府が締結した不平等条約なんて知らねえよ」などと言って一方的に条約を白紙にしたりしませんでした。まあ,当時の明治政府にはとてもそんなことを言い出せるだけの実力がなかっただけかもしれませんけど。 明治政府は当初,岩倉使節団を派遣して交渉しようとしたのですが,そもそも交渉のテーブルにつくことすらできませんでした。欧米諸国から相変わらず「法制度・裁判制度をちゃんとしてください。あなたがの国には,近代的な法も裁判制度もありません。これでは,わが国の国民が法で守られません。我々のような近代国家にならない限り,条約改正には応じられません」てなことを言われて突っぱねられたんですね。 30 脱亜入欧! そこで明治政府は「じゃあ近代化して,近代国家になったろやないか。脱亜入欧や。見てろやこら」と言って,日本の近代化に猛然と突き進むことになりました。涙ぐましいまでの努力を払ったのです。司馬遼太郎『坂の上の雲』です。 早く欧米諸国から近代国家として認めてもらわないと,アジアの他の国々のように日本も植民地にされてしまうという強い危機感もありました。もともと明治維新は,「江戸幕府に任せていては日本が植民地にされてしまう!」ということが原動力となっている面もあります。 31 近代的な法制度の輸入 近代国家として認められるためには,欧米諸国が言うように,近代的な法制度・裁判制度を整える必要がありました。 そのためには,法制度を欧米諸国から輸入してくるしかありません。なんせ欧米諸国しか近代的な法制度を持っていませんでしたから。日本にそれまであった「律令」等を手直しして使うというのでは到底認めてもらえませんでした。 かくして,明治政府は,西洋から法制度を輸入することになったのです。 32 若者の留学・法学者の招聘 明治政府は西欧へ有望な若者を送って留学させ,他方で西欧の著名な法学者に声をかけて日本に招聘します。これらの事業のために,明治政府は乏しい国家歳入の中からなけなしの予算をつぎ込みました。 ボワソナード教授も,このとき招聘された一人です。ボワソナード教授は民法を勉強するときにまた登場します。 招聘された学者としては,法学者ではありませんが,「少年よ大志を抱け」のクラーク博士のほうが有名ですね。 33 近代法の制定 こうした多大な努力を払い,ついに,明治政府は近代法を制定します。これが,先ほど見ていただいた民法や刑法といった法律です。 さらに,日本全国に裁判所も設けられ,少しずつ近代的な法制度・裁判制度が整っていきます。 34 不平等条約改正? 近代法を制定したからには,西洋諸国も不平等条約改正に応じるはず!やったね!これで日本も晴れて近代国家の仲間入り!・・・となりそうですが,そうはなりませんでした。 欧米諸国は渋ってなかなか応じなかったのです。ホンネのところでは,アジアの果てのようわからん日本なんて国を,自分たち欧米近代国家の仲間とは認めたくなかったのかもしれません。認めてもらえるだけの実力が,日本にはまだ伴っていませんでした。 それでも,陸奥宗光をはじめとする外交官が艱難辛苦した末に,ようやく治外法権は撤廃されたのでした。 35 二日目のまとめ(その1) まとめをしておきましょう。 まず一つ目,現在の日本の法制度は,明治政府が西洋から導入したものだという点です。法制度は,それまでの日本で行われていた律令やら武家諸法度やらからは完全に断絶した,西洋由来のものなのです。 したがって,法を学ぶ際には,西洋的な考え方でアプローチしていく必要があります。別に東洋的な考え方が悪いとか,間違っているとかいうわけではありません。ただ,これから我々が学ぼうとしている日本の法律は,西洋由来のものであり,西洋的な考え方で作られているのです。 36 二日目のまとめ(その2) 二つ目は,明治政府が西洋から近代的な法制度を導入したのは,近代国家になるためだったという点です。 これから学ぼうとしている「法」は,「近代国家」として西洋諸国に認められるための条件だったのです。 37 次回は「近代国家」 法と近代国家とはとても密接な関係にあることがわかってきました。そうすると,そもそも近代国家とはどんな国家なのかが気になってきます。そこで,三日目では「近代国家」を取り上げます。 |
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