ボブ・ディラン『ソングの哲学』訳者・佐藤良明氏による各曲解説(00

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ボブ・ディラン『ソングの哲学』訳者・佐藤良明氏による各曲解説(00

2023-04-19 07:42| 来源: 网络整理| 查看: 265

トラッキン──グレイトフル・デッド

  60年代を共に歩んだミュージシャンのエントリーが本書にはほとんどない──ザ・バーズもザ・バンドもない──中で、アメリカのロックバンドとしてほとんど唯一、賛美の対象として引っ張り出されるのがグレイトフル・デッドである。(オールマン・ブラザーズやイーグルスやサンタナの曲も登場するけれども、バンド自体についての言及はない)。  グレイトフル・デッドの名で最初にプレイしたのは、ケン・キージーとメリー・プランクスターズによる「アシッド・テスト」と呼ばれる、一般に開かれたLSDパーティの会場で、以来デッドには、ヒッピー文化の火付け役としてのイメージがつきまとったが、60年半ばにサンフランシスコに結集した他のサイケデリック・グループとは、音楽性の質もレベルも違っていたというのがディランの見立てだ。  作曲家でクラリネット奏者アーティ・ショウのバンドは戦前・戦中・戦後を通して、アメリカを踊らせた。(ピンチョンの小説『ヴァインランド』に、ハワイから帰国した海軍兵と左翼系闘士の娘が踊り明かし、生まれた子をショウのヒット曲にちなんで「フレネシ」と名付けるという一節があった。)  言及される、コーエン兄弟の『オー・ブラザー!』の中でも美しい川辺のシーンも、〈Down in (to) the River to Pray〉の曲名で鑑賞できる。この映画でフィーチャーされる〈マン・オブ・コンスタント・ソロー〉は、ディランがデビュー・アルバムで歌っていた。デッドのメンバーとルーツ音楽の関係は古く、深い。それを知るディランは、トリップス・フェスティバル(1966)やモンタレー・ポップ・フェスティバル(1967)で売り出された、ジェファーソン・エアプレインを始めとするグループと差異化している。  ドラマーのビル・クロイツマンが比べられているエルヴィン・ジョーンズは60年代前半にジョン・コルトレーン・カルテットのドラマーとして知られたジャズ界の大物。ジェリー・ガルシアのリード・ギターを形容するのに、ジャズのチャーリー・クリスチャンと、カントリーのドク・ワトソンを同時にもってくるあたりは、このバンドの学際的ならぬ「楽際的」なありようとディランが愛でているところだ。念のため言い添えれば、ディランとデッドとは一時期一緒にツアーをやり『ディラン&ザ・デッド』(1989)というアルバムも出している。ディランのアルバム『トゥゲザー・スルー・ライフ』(2009)は、1曲を除いてすべて、デッドのソングライター、ロバート・ハンターとの共作である。  この〈トラッキン〉という曲は1970年のアルバム『アメリカン・ビューティ』に入っている。三人の中心メンバーにロバート・ハンターを加えてみんなで作った。彼ら自身の長いロードの経験をみんなして放り込んだようなうたで、題名のtruckin'はKeep on trucking(辛抱強く続けよ)の意味。その後に「ドゥーダー・マンのように」と続くが、これはフォスターの〈草競馬〉からの引用──「オイラは帽子をへこませて、ドゥーダー・ドゥーダー」というあれである。オリジナルは19世紀半ばのミンストレル・ショーで、黒人訛りで歌われた。ディランが読み取っているように、そこには歴史を超えて脈々と流れるアメリカのアメリカ性がある。「シカゴもニューヨークもデトロイトも、どこも同じストリート」という歌詞が、初期ソウルの名曲〈ダンシング・イン・ザ・ストリート〉の「シカゴでも踊る、ニューオーリンズでも踊る」と似て非なるものであるという点は、なるほど重要だ。  アメリカのストリートについてはディランも歌ってきた。リアルで惨めな人間たちの住む〈荒れ果てた通り / Desolation Row〉があり、名門女子大生が落ちぶれてさ迷い込む〈ライク・ア・ローリング・ストーン〉のストリートがあり。恋に憑かれて歩き続ける〈ラヴ・シック〉のストリートがあった。ここでデッドが歌うのは、かつて、映画館のひさしが輝き、道の両側に多くの個人経営のショップが並んでいたメインストリートである。「ダラスにはソフト・マシーンがある」という歌詞からは、ビート作家ウィリアム・バロウズの小説の危険な香りがある。コーラスとヴァースが交叉する歌詞の三つめのヴァースで、「スイート・ジェイン」とあるのはマリファナのこと。デッドもその中心にいたドラッグ・カルチャーのことがここで歌われている。次には逮捕された経験も歌われている。フィル・レッシュのベースが曲を前に進めているというのは本当だ。賑やかだがクールなうたである。



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