論語詳解339憲問篇第十四(7)君子にして不仁’

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論語詳解339憲問篇第十四(7)君子にして不仁’

2024-06-29 11:57| 来源: 网络整理| 查看: 265

論語憲問篇(7)要約:仁者とは孔子先生の生前では、貴族らしい人を言います。ですが血統を誇る貴族でも、貴族らしくない、みっともない人がいました。でもだからといって、小人=庶民に貴族らしい人がいたわけではありません。 論語:原文・書き下し論語:現代日本語訳論語:語釈論語:付記 論語:原文・書き下し 原文

子曰、「君子而不仁者有矣夫。未有小人而仁者也。」

校訂 定州竹簡論語

……小人而仁者366……

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 君 金文子 金文而 金文不 金文仁 甲骨文者 金文有 金文矣 金文夫 金文 未 金文有 金文小 金文人 金文而 金文仁 甲骨文者 金文也 金文

※仁→(甲骨文)。論語の本章は、「也」「有」「未」の用法に疑問がある。

書き下し

子し曰いはく、君子もののふに而して仁よきひとならざる者もの有あり矣なん夫か。未いまだ小人ただびとに而して仁よきひとなる者ものあらざる也かな/也なり。

論語:現代日本語訳 逐語訳

孔子 先生が言った。「貴族にも、貴族らしい振る舞いが身に付いていない者はきっといるだろうな。だが平民で貴族らしさを身につけている者は、今までいたことがないねえ。」

意訳

君子 諸君 孔子 新弟子諸君! 諸君たちが見てきたように、お偉方にも、ちっとも貴族らしくないお人はいる。だがだからこそ、今は庶民の諸君たちも、勉強と稽古次第で貴族らしさを身につけ、私のような本物の貴族になれるのだぞ!

従来訳

下村湖人

先師がいわれた。―― 「道に志す君子にも不仁なものがないとはいえない。しかし道を求めない小人はすべて不仁だ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「君子中有不仁慈的人,而小人中卻沒有仁慈的人。」

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孔子が言った。「君子の中には憐れみを持たない人がいて、小人の中には憐れみのある人は全くいない。」

論語:語釈

子 曰、「君 子 而 不 仁 者 有 矣 夫、未 有 小 人 而 仁 者 也。」

君子・小人

君子 小人 論語で「君子」が単独で使われると、”諸君”という呼びかけに解する場合がある。しかし「小人」とセットになった場合は、以下の対比のいずれか。

貴族←→平民 教養人←→無教養人 高潔な人←→凡人

1.は孔子生前の意味で、論語の本章は史実だから、この意味となる。2.と3.は孔子より一世紀のちの孟子が、自分の商材として儒教を売りに出したときの意味で、論語でも後世の創作の章ならその可能性が高い。詳細は論語における君子を参照。

而(ジ)

而 甲骨文 而 解字 (甲骨文)

論語の本章では”…であり、かつ”。初出は甲骨文。原義は”あごひげ”とされるが用例が確認できない。甲骨文から”~と”を意味し、金文になると、二人称や”そして”の意に用いた。英語のandに当たるが、「A而B」は、AとBが分かちがたく一体となっている事を意味し、単なる時間の前後や類似を意味しない。詳細は論語語釈「而」を参照。

仁(ジン)

仁 甲骨文 貴族 (甲骨文)

論語の本章では、”貴族(らしさ)”。初出は甲骨文。字形は「亻」”ひと”+「二」”敷物”で、原義は敷物に座った”貴人”。詳細は論語語釈「仁」を参照。

通説的な解釈、”なさけ・あわれみ”などの道徳的意味は、孔子没後一世紀後に現れた孟子による、「仁義」の語義であり、孔子や高弟の口から出た「仁」の語義ではない。字形や音から推定できる春秋時代の語義は、敷物に端座した”よき人”であり、”貴族”を意味する。詳細は論語における「仁」を参照。

有(ユウ)

有 甲骨文 (甲骨文)

論語の本章では、”存在する”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。ただし字形は「月」を欠く「㞢」または「又」。字形はいずれも”手”の象形。金文以降、「月」”にく”を手に取った形に描かれた。原義は”手にする”。原義は腕で”抱える”さま。甲骨文から”ある”・”手に入れる”の語義を、春秋末期までの金文に”存在する”・”所有する”の語義を確認できる。詳細は論語語釈「有」を参照。

有矣夫

論語の本章では”存在してしまうなあ”。「有」は「君子而不仁者」を主語とする述語動詞で、”そういう者が自ずから存在する”の意。貴族のくせに貴族らしくない奴がいる、そしてそれは他ならぬ当人のせいだ、という意味合いを含む表現。

「矣」は断定・完了を意味する言葉。

未(ビ)

未 甲骨文 未 字解 (甲骨文)

論語の本章では”今までにいない”。初出は甲骨文。「ミ」は呉音。字形は枝の繁った樹木で、原義は”繁る”。ただしこの語義は漢文にほとんど見られず、もっぱら音を借りて否定辞として用いられ、「いまだ…ず」と読む再読文字。ただしその語義が現れるのは戦国時代まで時代が下る。詳細は論語語釈「未」を参照。

未有小人而仁者也。

論語の本章では、”庶民に貴族らしい人はまだいないね”。

発言の前半が、”貴族のくせに、らしくない奴がいる”というこれまでの経緯を述べているのに対し、後半のこの部分は、”庶民で貴族らしい人はまだ居ないな”という、今後のありようについて含みを持たせた発言になっている。

孔子塾生は九分九厘が庶民の出で、孔子塾で貴族らしい教養や技能を身につけて、仕官し、貴族になっていった。それを踏まえると、”ちゃんと稽古や勉強しないと貴族になれないぞ”という説諭であり、”稽古と勉強さえすれば、今は小人の君も君子になれるのだぞ、ワシみたいに”という励ましでもある。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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論語の「君子・小人」という言葉は「仁」同様、広く誤訳された言葉の一つで、孔子生前ではあくまで、貴族と庶民を意味しているに過ぎない。だから孔子は君子と小人を区別はしても、差別はしなかった。していたら孔子塾に、三千人とも言われる小人が押し寄せるわけがない。

それが変化したのは、孔子の晩年になって戦のありようが変わり、貴族の操る戦車戦から、徴兵された庶民が弩ド(クロスボウ)を持たされ戦う歩兵戦へと移り変わったからだ。庶民もまた国防を担うとなれば、貴族は特権を社会に説明できなくなり、「君子」の存在意義が疑われた。

そこで孔子から一世紀後の孟子が、”教養ある人格者”という新しい意味を「君子」に与え、その新君子にふさわしいありようとして、孔子の「仁」を作り替えた「仁義」、すなわち情けや憐れみを提唱した。これが君子たちの不安によく答えたので、孟子はそこそこ儲かった。

だから孟子は新「君子」を語るのが精一杯で、「小人」をバカにはしていない。そして孟子が君子と小人を対比させた言葉は、以下のわずか5例に限られる。しかもそのうち2例は引用だ。

滕定公薨。…孟子曰:「…上有好者,下必有甚焉者矣。『君子之德,風也;小人之德,草也。草尚之風必偃。』是在世子。」

孟子 滕国の定公が世を去った。…孟子が言った。「…上の者の好みは、下の者が真似をして程度が激しくなる。孔子先生も仰った、”君子の道徳は風で、小人の道徳は草である。風が吹けば草はなびく(論語顔淵篇19)”と。お世継ぎもそう心得られよ。」(『孟子』滕文公上2)

孟子曰:「…其君子實玄黃于匪以迎其君子,其小人簞食壺漿以迎其小人,救民於水火之中,取其殘而已矣。」

孟子 お笑い芸人 孟子が言った。「(周の武王が東征の軍を起こすと)各地の君子は、各種の布を竹かごに入れて、東征軍の君子に差し出し、小人は粗末ながら食事を作って、東征軍の小人に差し出したのは、東征軍が民を水に溺れ火に焼かれるような苦しみから救い、悪の張本人である紂王を討伐しようとしたからだ。」(『孟子』滕文公下10)

「故曰,為高必因丘陵,為下必因川澤。為政不因先王之道,可謂智乎?是以惟仁者宜在高位。不仁而在高位,是播其惡於眾也。上無道揆也。下無法守也,朝不信道,工不信度,君子犯義,小人犯刑,國之所存者幸也。

孟子 (孟子)「だから言うのだ。丘は高いに決まっているし、川は低いに決まっている。先王の道に従った政治でないと、智とは言えないのだ。だから仁者だけが高位に上るべきで、不仁者が上ってはならない。上ったらみんなの迷惑だ。上の者は無軌道に暴政をやらかし、下の者は法を守らなくなる。政府は原則を顧みず、職人は物差しを疑い、君子は正義を踏み外し、小人は犯罪をしでかす。これで国が滅びなかったら、奇跡というものだ。」(『孟子』離婁上1)

孟子曰:「君子之澤五世而斬,小人之澤五世而斬。予未得為孔子徒也,予私淑諸人也。」

孟子 孟子「君子が後世に残す影響はせいぜい五世代、150年まで、小人も同じ。だから私は、一世紀前にみまかった孔子先生のお弟子とはまだ言いがたいが、孔門の偉い先生方を個人的に尊敬している。」(『孟子』離婁下50)

曰:「以皮冠。庶人以旃,士以旂,大夫以旌。以大夫之招招虞人,虞人死不敢往。以士之招招庶人,庶人豈敢往哉。況乎以不賢人之招招賢人乎?欲見賢人而不以其道,猶欲其入而閉之門也。夫義,路也;禮,門也。惟君子能由是路,出入是門也。《詩》云:『周道如砥,其直如矢;君子所履,小人所視。』」

孟子 孟子「(人の招き方には決まりがある。)皮の帽子をかぶって、庶民を招くなら赤旗を振り、士族を招くなら上下の龍を描いた赤旗を振り、家老階級を招くなら羽毛を吊した旗を振る。その規定を破って羽毛を振り回しても、下役人は死んでも来ようとしない。士族を招く旗を振っても、庶民がやって来るわけが無い。だから馬鹿者を招くやり方で、賢者がノコノコ来ると思うか? 賢者にふさわしい招き方をしないのは、閉ざされた門から入ろうとするのと同じだ。そもそも正義とは、原則のあるものだ。礼法とは、通るべき門のことだ。君子だけがその門を通って出入りする。詩に言うだろう、”周の政道は砥石のようだ、その真っ直ぐなさまは矢のようだ、君子が従い、小人は見つめる”と。」(『孟子』万章下16)

いずれも小人蔑視には至っていないことが、おわかり頂けると思う。



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