『真夏のコスモス』第一章 真夏の中のコスモス(3)|野田村 悠加@物書きパラレルワーカー |
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慣れないことばかりだった。 練習開始前の集合の合図、練習内容を監督から聞いて指示をする、自分は自分で一生懸命プレーしながら、周りを見て気の抜けたやつを注意する……何を言うにもだいたい大声で、移動は基本走る。 練習メニューは特に新しいことを始めるわけではなかった。いつも通りのウォーミングアップの後に、四つの班に分けてバッティング練習、ポジションごとの守備の基礎練習、全員揃ってのノック。 朝八時集合だったからか、午前中だけで随分と動いたような気がする。夏の大会直前は調整も兼ねてそれほどきついメニューではなかったので、余計に過密なスケジュールのように感じた。 僕に関しては、体力というよりも精神的にひどく疲れを感じていた。 「大丈夫か?」 部室で昼食の弁当箱を開けたところで、隣に守山が腰を掛けて訊いてきた。 「うん、まあ、何とかって感じ」 下手くそな笑みで答える。きっと周りにも感じられるぐらい、いっぱいいっぱいの所作だったのだろう。 「あんまり難しく考えるなよ。俺もいるし、みんなだってもう最上級生だ。だらしのない一年の面倒ぐらい見られる」 守山は澄ました表情で言う。彼の声は低くて安心感がある。身体も大きく、声も通ってまさに捕手向きだ。ますますなぜ主将でなかったのだろう、と思う彼は僕の予想通り、練習前の集合で監督から副主将に任命されていた。 「うちの学年で一番の問題児は唐崎ぐらいだろうしな」 それも守山に任せていれば心配いらない、と心の中で呟く。 入学以来、守山と唐崎はずっとバッテリーを組んでいる。守備の時、彼ら二人のことはセンターのポジションから真正面に見えるので、よく観察していた。この二人が自分と同じ学年で良かった、と試合中よく思っていたものだ。 バッテリーでお互いの信頼が伝わってくるような投球をしているのは、守っているこちら側も非常に安心できる。おそらく他のメンバーもそうだろう。 ボール球が続いても、二者連続でぽんぽんとヒットを打たれても、ピンチに陥っても、大丈夫だ、まだ点は取られていないのだから、という思いが心に余裕をもたらしてくれる。大丈夫かなこいつ、次はストライク入れろよ、と念じながら守っているよりもずっと楽で、守備のミスも少なくなる。 バッテリー間の信頼というのは、そういった一球一球から割と伝わってくるものだ。 そのような安定した空気感を、僕はチーム全体に浸透させなければならない。 「バッティングはお前の方が良いし、外野なんてまるでわからねぇ。お前も俺も、今はできることでいいんだから、ちゃんとやろうぜ」 できることをちゃんとやる。その言葉は、今の僕の等身大そのもののようで、胸の中にぴったりと当てはまる響きだった。 無理に背伸びをせず、僕らしく。僕は主将でもあるけれど、神池高校の二年生でもあるし、一番センターでもあった。チームの誰よりも初めにバッターボックスに立つし、守備では単純な広さだけ言えば一番広いポジションを守っている。 僕の役割は、初回に出塁することや、誰もが打たれたと思った打球に追いついて捕球することだ。そして、皆を率いること。 率いるとは何だろう。大きな声を出すこと。周りに声をかけること。盛り上げるような行動、発言をすること。指示を出すこと。注意すること。 そんなのは当たり前。昨夜の奈央姉の言葉が蘇る。姉の言う通り、そんなのは当たり前だった。 では、僕のできること、とは一体何だろう。 何だろう、何だろう。そんなどこにも行き着かない考えばかりが血のように全身を巡る。ゴールのない思考のループに溺れてしまいそうになる。 未だ確固とした何かを掴み取ることができず、宙に浮いているような、雲の上にいるような感覚で時が過ぎていく。 一生懸命練習に取り組んでいると、いつの間にか昼休憩で、いつの間にか練習が終わっている。ぼんやりして大事な練習時間を無駄にしないように、と意識はしているものの、日々の実感は水を掴むように曖昧だった。 そうして気が付けば、練習試合の日になっていた。新チーム初戦、僕が主将になって初めての試合だ。 ホームベースを挟んで両校の部員が並ぶ。一番端っこに立つ僕は、真正面の相手チームの主将をじっと見つめる。緊張した面持ちだった。彼も主将になってまだ日は短いはずだ。そう慮る僕も、大概似たような表情をしているのかもしれない、と思うと緊張も少しほぐれたような気がした。 「お願いします!」 燃え上がるような真夏の暑さを叩き割るように、僕は大声で言った。 主将として、先頭バッターとして、僕は役割を果たさなければならない。今日は試験のような日だ、と前々から思っていた。 自分のできることを発揮する時間。 バッターボックスで足場を作りながら思う。 目的は勝つこと。それだけは決して見失わないように。こだわり抜いて。 「プレイボール!」 まずはこの夏を、戦い抜く。 * 「ノーヒット? 珍しいね」「たいしたピッチャーじゃなかったから、思いの外ショックで」「それはきっと、アキもたいしたバッターじゃないからだよ」「おっしゃる通りで」 何の気なしに鋭利な発言をするのは昔っから変わらない。 永原桜乃は、日によく焼けた顔をくしゃりと崩して笑った。女の子にしては短めの髪が、夏の夜の生暖かい風に吹かれてふわりと舞う。僕と同じように一日中土の上で走り回っているはずなのに、どうしてこうも柔らかそうな髪質に見えるのだろう。女の子だからだろうか。それともただの錯覚だろうか。 「まあ、夏休みは長いんだし、気楽に行こうよ。途中でばてちゃうよ」 桜乃は大きなエナメルバッグを肩で背負い直して呟く。お互いに部活帰り、笑いながらも疲労は溜まっているようだった。 桜乃は小学校に入る前からの幼馴染で、小中高と同じ学校に通う腐れ縁だった。家が少し離れているが、最寄りの駅からしばらくは同じ道なので、偶然帰りが同じ時間の時はこうして近況を話しながらのんびりと歩いている。 「ていうかアキ、キャプテンになったんだって?」「えっ、よく知ってるな」「女子の情報網を舐めちゃいかんぜよ」 主将就任はつい一週間ほど前のことなので、長期休暇中ということもあり友達にはあまり言っていないが……女子サッカー部の情報網、恐るべし。野球部の誰かと付き合ってるやつなんていたっけ。 僕は暗がりの道を先に進みながら呟く。 「いろいろ考えちゃって、大変なんだぜ、キャプテンって」「キャプテンぶるねえ」「キャプテンだからな」 なんとなく、男友達にも姉にも言わないようなことでも、桜乃ならいいか、という無責任な思いは昔から持っていた。 多分、付かず離れずのちょうど良い距離感の存在だからというのと、僕も昔から彼女の話をよく聞いていたことがあったからだろうな、と思っている。 「あっ、そうだ」 互いの帰り道が分かれるその直前に、桜乃は立ち止まって声をあげた。 「何、急にどうしたんだよ」「アキ、夏休みはちゃんとオフってあるの?」「オフ? まあ、そりゃあ……あるけど」「何日かわかる?」「八月で?」「うん」 僕は八月のオフの三日間を即座に答えた。野球部員は基本的に、休みの日と雨の日は常に把握しているという生態がある。 「それがどうかしたのか?」「いや、聞いてみただけ」 追求しても良かったが、なんだか家が近くなるにつれて疲れが徐々に押し寄せてきていたので、何だよ、の一言で済ませておいた。 聞いてみただけと答えて、本当に聞いてみただけの場合なんてあるのだろうか。まあ、何でもいいや。 「それじゃあ、ここで。夏休み頑張ろうね」 社交辞令と本心の間みたいな台詞。薄暗い小さなこの交差点で、僕達は左右に分かれる。 「そうだな。頑張ろう」 僕はそう言って、桜乃に背を向けた。頑張ろう、と胸の中でもう一度、自分に言い聞かせるように思う。何でもないことのように口にしてしまうけれど、その言葉の重みは計り知れない。頑張ることは、口にするよりもずっと難しい。 暗がりの道は人気が少なく、街灯が等間隔に並んでいた。見慣れた夜の路地。練習漬けの日々だから、最近この辺りが明るいうちに帰ってきた覚えがない。桜乃を家まで送ってやれば良かっただろうか、と手遅れな思いを抱いて、無意味に一度振り返る。 そこにはすでに桜乃の姿はなかった。小さい頃から、足の速いやつだった。歩くのも、なぜかやたらと速かった。送った方が、と僕が気付く方がよっぽど遅かった。 まあ、この夏休みの間に、そのうちまた一緒に帰ることもあるだろう。その時は家まで送って行こう。 そんなことを疲れた頭の中でぼんやり思う。同じぐらいぼんやりと、急に夜道が明るんだ。上を向くと、丸い月が雲間から顔を出している。夏か、と唐突に当たり前のことを感じた。今更思うには遅すぎる思いだった。それでも、今日は何かの新しい始まりの日のようだと思った。 夏休みが始まって三週間、主将になって一週間が経っていた。 僕の中で、何かが始まった。それは主将としての自覚かもしれないし、随分遅い夏の実感かもしれない。 頭上の月に問いかけても、誰も何も答えてはくれない。 それはまるで、自分で気が付くものだよ、と自分自身に言われているようだった。 ーーーーーーーーーー 次話↓↓ ーーーーーーーーーー マガジンはこちら↓↓ 真夏のコスモス|野田村 悠加@物書きパラレルワーカー|note 「創作大賞2023」応募作。 青春真っ盛りの野球小説です。 《あらすじ》 キャプテンに任命された、高校二年生の夏。 主将と note.com |
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