【旋律の天才と言われた作曲家】美しいイタリア歌曲や日本との関わりなど|清水優美 Yumi Shimizu |
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歌曲の作曲家として知られる、イタリア人作曲家・フランチェスコ・パオロ・トスティ。音楽史の中では目立つ存在ではないかもしれないが、声楽を勉強している人であれば必ずと言ってもいいほど彼の歌曲を歌ったことがあるのではないだろうか。 今回の記事は、作曲家・フランチェスコ・パオロ・トスティについて取り上げ、彼の生涯や代表的な作品について書いて行こうと思う。 歌曲の作曲家として知られるフランチェスコ・パオロ・トスティ。フランチェスコ・パオロ・トスティ (1846-1916) ・1846年イタリア・アブルツォ州オルトーナに生まれる。 ・幼い頃からヴァイオリンを始め、12歳にしてナポリ音楽院に入学し、ヴァイオリンと作曲の勉強をした。 ・1866年にヴァイオリンでディプロマを取得し、歌曲の作曲を開始。 ・20代前半で故郷のオルトーナに戻り、オルガン演奏・指揮者の職に就く。その時期に書き溜めた歌曲集が認められ、1875年頃からはローマなどのイタリア各地で盛んにサロン用歌曲を発表した。 ・その後、イタリア王室の声楽教師、1880年頃からはイギリス・ロンドンに移住し、イギリス王室の声楽教師となった。 ・イギリス人女性と結婚し、1906年には英国の市民権を獲得し、さらに1908年には、サーの称号を授与された。 ・1912年にイタリアに戻り、病に苦しみながらも少なくとも1916年の秋まで作曲を続け、その年の初冬に病状が悪化し、12月2日にローマで他界。 トスティの代表曲トスティといえば、何と言ってもイタリア歌曲で有名である。代表曲をいくつかご紹介する。
・La serenata セレナータ 作詞は、ジョヴァンニ・アルフレード・チェザーレオ。この動画では、伝説のテノール歌手・ルチアーノ・パヴァロッティが歌っている。
・Preghiera 祈り 作曲は、ロッコ・エマヌエーレ・パリアーラ。この動画は、オーケストラバージョンで、テノール歌手のプラシド・ドミンゴが歌っている。 ・Addio! さようなら トスティは、ロンドンに30年以上住んでいたこともあり、英語を原詩とする歌曲を約80曲作曲した。この「Addio! さようなら」も、実は次にご紹介する「Good-bye」の翻訳なのである。 ・Good-bye ・ 4 canzoni d’Amaranta アマランタの4つの歌 イタリア語に関しては、詩人のガブリエーレ・ダヌンツィオと、長年に渡り共同制作を続けた。彼とは17歳の年の差があったが、33曲もの作品を残している。その中でも有名なのは、こちら。 アマランタは、不凋花とも呼ばれており、伝説上の花のことであるが、ダヌンツィオが当時熱烈な恋愛関係にあったジュゼッピーナ・マンチーニの愛称であった。 日本トスティ歌曲コンクールさて、前項では日本でも親しまれているトスティの歌曲をご紹介したが、なんと奈良県には日本トスティ協会が存在する。 (日本トスティ協会 公式Facebookより引用) また、この協会が主催するコンクールもある。入賞者記念コンサートやその他コンサート情報はこちらから確認できる。 (日本トスティ歌曲コンクール2019公式ホームページより引用) 終わりにいかがだっただろうか。今回は、イタリア人作曲家・フランチェスコ・パオロ・トスティについて取り上げ、その生涯、代表曲そして、日本トスティ協会についてご紹介した。 トスティの歌曲は、声楽を学んでいる身からすると、とても歌手のことが考えられており、詩のリズムに乗った綺麗な旋律の曲が多いと感じる。筆者は、トスティのイタリア語の歌曲はよく歌っているものの、英語の歌曲は歌ったことがなかったので、挑戦してみたいと思った。 読者の皆様にもぜひ、トスティがつくりだす美しい歌曲の世界を感じていただけてたら嬉しい限りである。 |
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